dimecres, 14 de juliol del 2010

ルンバ講座10『ルンバの変遷その2-フランス編』

80年代に入るとルンバ・カタラーナは、お隣の国フランスにも姿を見せ始めます。ちょっと興味深いことなのですが、険しいピレネー山脈は文化を分断する役割ではなく、文化を繋ぐ役割をしていたようで、カタルーニャ文化圏はピレネー山脈の反対側フランス側にも広がっています。それが17世紀頃まではカタルーニャの領土だったフランスのRoussillonルシヨンと呼ばれる地域で、ここではフランス語の他にカタルーニャ語に非常に良く似たオック語という言語が話されています。

こうした繋がりもあって、市民戦争からフランコの独裁政権にかけてのカタルーニャ不遇の時代には、スペイン側からピレネーを越えてフランス側へ亡命する人々がたくさんいました。この中にいたのがGipsy Kingsジプシー・キングスの中心メンバーReyesレイェス一家です。彼らはスペインのヒターノのエッセンスを前面に出すことで、おそらく世界で一番有名なルンバのグループとなりましたが、メンバーはみなフランス人です。おまけに日本で一番有名な彼らの『Volare』の歌詞はスペイン語とイタリア語がごちゃまぜ。よく考えるとかなり無国籍なんですすよね!
 
ちょうどその頃パリ近郊では、スペイン人の両親を持つ二人の兄弟が従兄弟とともにロックバンドを結成します。オリジナル曲に混じって彼らが演奏したのは、なんとスペインのルンバのカバー。前回ご紹介したロス・チュンギートスの『Ay Qué Dolor』をこんな風に演奏していました。

 

本家と比べるとなんとも若々しくて可愛らしいこと(特にハレオ)!ご存知の方も多いと思いますが、このHot Pantsホット・パンツは元Mano Negraマノ・ネグラのボーカルで現在ソロ活動中のMano Chaoマヌ・チャオがマノ・ネグラの前に結成していたバンドです。その後マノ・ネグラを結成すると、ホット・パンツ時代にすでに演奏していた『Mala Vida』が大ヒットし、一気にブレイクしました。
 
前の『Ay Qué Dolor』と比較すると良く分かりますが、このマノ・ネグラ〜マヌ・チャオの代表曲の一つでもある『Mala Vida』は、メランコリックな歌謡曲風の曲調といい、ちょっと恨みがましい感じのラブソングの歌詞といい、キンキのルンバととても良く似ています。言うならばルンバ・パンクといった感じでしょうか。友人のルンベロいわく「キンキのルンバが消費尽くされてスペイン内では誰も見向きもしなくなった時期に、マノ・ネグラはフランスでそれを取り入れて大成功した」とのこと。
80年代末ミクスチャーと呼ばれる音楽が盛り上がる中で、マノ・ネグラと人気を二分していたのがLes Negresses Vertesレ・ネグレス・ヴェルト。彼らも違う形でルンバの影響を受けていました。パルマやギターなどフラメンコの要素がたっぷり入った二枚目のアルバムから『Sous Le Soleil De Bodega』。ギタリストの動きに注目してください。
 
ベンティラドールですね!!イタリア系のボーカルのHelnoエルノを始めメンバーが移民の出身だったせいか、カタラーナよりもっと地中海の匂いのするルンバになっています。次にご紹介するMellinoメリノが演奏するバージョンだと、編成がシンプルなのでもう少しカタラーナ寄りに聞こえます。このメリノはネグレス・ヴェルトのギターの一人StéfaneステファンとパーカションのIzaというMellinoメリノ兄妹が結成したグループで、現在も活動中です。