dilluns, 31 d’octubre de 2011

発売中の『旅』11月号にチャチョ登場!

こちらの告知も遅くなってしまってすいません。前回の記事にも登場したChachoチャチョが、現在発売中の新潮社の旅行誌『旅』11月号に掲載されています。この雑誌が今回でなんと通巻1000号。その記念特集『わたしを元気にする63の旅』の中の一つ「バルセロナへの旅」の取材にコーディネータ・通訳として参加しました。この記事を執筆しているのは音楽ライター松山晋也さん。(詳細は公式サイトをご覧ください。また旅は隔月の雑誌なので、11月20日に次号が出るまでは書店にあるはず)。


取材を行ったのは現在も彼が暮らすルンバ・カタラーナ生誕の地ラバル地区。ルンバの王様ペレの幼馴染みで、ルンバ・カタラーナの誕生にも深く関わるチャチョ。とても興味深い話を聞くことができました。

見本誌の送付先の確認が間に合わなかったので、届けに行くことになりました。待ち合わせはもちろん、ペレが常連だったことでも有名なEls Tres Tombsアルス・トレス・トムス。チャチョに行きつけのバルで、ウエイターとも顔なじみ。

どんと1ページに掲載された自身の写真に満足げなチャチョ。
いつも一緒の愛妻ルイサと。「旅」にも二人の小さな2ショットが載っています。
「旅」の記事に関しては、こちらも参照ください。


さて、普通に会ってみるとすっかり好々爺と行った感じのチャチョですが、御歳71歳まだまだ現役。この声量と足さばきを見ていただければ一目瞭然ですね。
本当に生涯現役というか、ルンバが人生そのもののルンベロたちに引退はないんです。定期的に新譜をリリースしているペレに続けと、11月11日チャチョも35年ぶりに新譜を発売します!! 
こちらについてはまた続報をお送りしますので、お楽しみに!

dilluns, 24 d’octubre de 2011

Adeu Papawa-さよならパパウワ

本当にお久しぶりです。またまた更新が滞ってしまってすいませんでした。書きたいネタはたくさんあるんですけど、いろんなことに手を出しているせいでどうにもこうにも時間が。という言い訳はここまでにして、久々の現地レポートです。(といっても、7月始めの話なのですが

Calarumbaパパウワ解散の記事がアップされたのは、奇しくも前回ご紹介したペレのコンサートの日のことでした。それによると、ボーカル・ギターのペレ・レイエス(右)がソロ、ギターのサム・モスケトン(左から二人目)がバンダ・アチリクンクでの活動に専念するために、71日をもってグループを脱退。残ったリカルド・タラゴナJr(左)がパパウワとして活動を続けて行く。最後のステージとなるのはバルセロナ郊外のTerrassaテラサの夏祭りという内容でした。

やっぱりというのがこのニュースを見て最初に思ったことでした。というのも、実は昨年末にパパウワを突然の悲劇が襲っていたのでした。昨年の1224日にメンバーの一人リカルド・バティスタ・タラゴナ(右から二人目でリカルドの父親)が不慮の事故で突然この世を去ってしまったのです。皮肉にも新譜『Toca Madera』をリリースしてからパパウワは再始動、秋からはJazz Sí Clubというラバル地区にあるライブハウスで、毎週水曜日定期ライブが始まった矢先の出来事でした。その後、パパウワの動きがぱったり止まって

というわけで、再び電車に揺られて郊外の夏祭りに出かけました。前回も書きましたが、ルンバ・カタラーナを楽しむには夏祭りがベストのシチュエーション。多少の遠出しても十分にお釣りがくるくらいは楽しめます。ルンバがきっかけで、一泊すればカタルーニャの新しい面を発見する小旅行にもなるし、いいことずくめ。夏にバルセロナに旅行に来る際には、一度お試しあれ。

チャチョ、ペレ・レイエスの兄ラムネにチペン時代の相棒ジョニー・タラデーリャ、その息子ジャック・タラデーリャといった豪華なゲスト陣を迎え、まさにルンバ・オール・スターズといった趣で最後のコンサートが始まりました。
ペレが数曲歌ったところで、チャチョ登場!!

そして、脇でハレオを投げかけてたラムネがステージ中央へ。定番中の定番『Marcha, marcha』で会場は一気にヒートアップ。この曲本当に誰でも知ってますね。

もちろん、ペレのテーブル・パーカションも健在。本当に何度見ても飽きない神業です。

ペレ・レイエスの最愛の息子カンデリも舞台へ。

最後はもちろんみんなで大合唱。

やっぱり楽しく元気に年をとるには、ルンバが一番と再確認した夜でした。

dilluns, 27 de juny de 2011

Peretペレの音楽人生-実践編


お久しぶりです。すっかり更新が滞ってしまってすいませんでした。私のライフワークはバルセロナから音楽と革命を追いかけることなのですが、5月の半ばに突如スペイン革命が始まってからというもの、そっちの動きについていくのでいっぱいいっぱいだったんです(スペインで進行中の革命について興味のある方は、私のもう一つのブログRamon Book Projectをご覧ください)。 
そうこうしているうちに、気がついたらもう6月も末。バルセロナもすっかり夏のバカンスムードになって、音楽イベントも一気に増えていました。そんな中で、ルンバの王様ペレが久々にライブを行うという情報を得て、626日の日曜日バルセロナ郊外の街Cornellàコルネヤの夏祭りに行ってきました。
コルネヤと言えばカタルーニャを代表するブルーカラーの労働者の街。奇しくもクラッシュと同年1976年に、この街でLa Banda Trapera del Rioラ・バンダ・トラペラ・デル・リオが生まれたことから、スペインのパンク発祥の地とも言われています。こちらが彼らの代表曲の一つ、集合住宅が建ち並ぶ衛生都市のひどい住環境を痛烈に批判した『Venid a las cloacas(下水道へようこそ)』です。
またスペインの国民的グループEstopaエストパの出身地ということでも有名なのですが、ただのベッドタウンで特に何もないところなので、足を踏み入れるのは今回が初めて。バルセロナの中心から地下鉄で15分しか離れていないにもかかわらず駅を降りるとすっかり郊外の雰囲気でした。
ステージがあるカタルーニャ広場には、のどかな夏祭りの風景が広がっています。
前座のSon Rumbaソン・ルンバがガト・ペレスからキコ・ベネノまでよく知られた曲で会場を盛り上げると、いよいよルンバの王様ペレの登場。
とにかくステージにいるだけでものすごい存在感。その佇まいのかっこいいことと言ったら!
実はペレのステージを見るのは、20087月のB-Estival以来約3年ぶり。あのときはキューバからのミュージシャンを含むビッグ・バンド編成で、Muchachito Bombo Infiernoのムチャチートが飛び入りしたりと非常に豪華なステージでした。

それに比べると今回は、パーカッション3人、ギター、女性コーラス、ベース、キーボードが半円に並んだ非常にシンプルな編成。また、ペレのバックを務めるのはみな20、30代の若いミュージシャンで、その中にも知った顔は1人もいません。

ペレほどになるとシンプルになればシンプルなほどにその凄さが伝わってくるもので、 圧巻はなんと言っても、他のミュージシャンが舞台を去ってペレがギター一本で弾き語るソロ・タイム。
大声で合唱する観客に合わせて、まるで観客こそが主役だというように、ギターで伴奏するペレが本当に素敵でした。
それにしても、ありとあらゆる層の観客が集まる夏祭りのフリーライブは、ルンバを楽しむのに最高のシチュエーション!! そして、ステージ脇にはペレの家族と思われる子供たちの姿。おそらくひ孫の代でしょうね。
夏祭りにふさわしく、今回のセットリストは誰もが知っている往年のヒット・メドレー。驚くことに、一時間半を越えるステージ中ペレは一度も休憩を取ることがありませんでした。間を持たせるようなバック・バンドのインストもなく、ペレはひたすらギターを弾いて歌っていたんです。76歳にして、ものすごいパワー!!

そして最も印象的だったのが、孫のような世代のミュージシャンに囲まれたペレが時折見せる満面の笑み。その嬉しそうなことと言ったら! インタビュー中に言っていた「やり残したのは、次の世代の育成に力を入れることだけ」を実践しているんですね。
「音楽と生きる」を体現するペレの姿が心に残るライブとなりました。いつまでも元気でステージに立ち続けてくださいね!!

dimarts, 17 de maig de 2011

ジョアン・ガリーガ・インタビュー後編

©Shhhhh
カタルーニャ語の歌詞が多いですね。
僕にとってはカタルーニャ語が日常の言語だから、カタルーニャ語で歌うというのは当たり前のことなんだ。歌を作り始めた頃、その当時のカタルーニャ語の音楽はそんなに好きじゃなかったから、それまでに聴いてきた音楽は主に英語とスペイン語のものが中心だった。
でも自分で歌詞を書くようになってみると、カタルーニャ語でないと伝えられないものがあることに気がついた。スペイン語で歌も歌うし、本もたくさん読むけれども、僕にとってはカタルーニャ語が母語だから、カタルーニャ語でしか伝えられないものがある。それで、カタルーニャ語で書こうと思ったんだ。
※1stアルバムから全編カタルーニャ語の『Calor Calor』
本格的に音楽を始める前に勉強していた映画や哲学は、僕にとってはあまりに精神的なもの過ぎた。それとは違って、音楽っていうのは動き。つまり身体的なもの。だから自然に出て来るものだと思う。一曲一曲がひとつの世界で、一曲完成させるのに何度も書き直すこともあれば、すぐ出てくることもある。
でも、本当は自然にすっと出てこなければいけない。もし自然に出てこなければ、それはもうしばらくしまっておいたほうがいい。だから、言葉の使い方とか引用の仕方も無意識に僕の中から沸き出てくる。すべてが自然に出てくるものなんだ。
そうしてカタルーニャ語で書こうと思ったときに、自分が小さいときに聞いたカタルーニャ語の童謡や子供向けの歌の影響をすごく受けていることに気がついた。幼少時代がインスピレーションの源なんだ。最新作のタイトル『も『Patufetパトゥフェ』というカタルーニャの子供向けのお話から来ている。 
これは、僕にとってはとても美しい物語なんだ。主人公の男の子パトゥフェは、生まれたときからものすごく小さい子供だった。彼は好奇心が旺盛だったから、いろんな世界を見たいと思っていたんだけど、両親は彼があまりにも小さいから、外に出て行ったら踏み潰されてしまうんじゃないかと心配していた。
パトゥフェは「僕は踏まれないように歌いながら道を歩くから大丈夫だよ」と両親を説得して、歌いながら町に出かけていく。「パティン、パタン、パトゥン。男の人も女の人も前を見て。パトゥフェを踏まないで」って歌なんだけど、ルンバのリズムなんだよ。
町でいろんなお店に行って大喜びのパトゥフェは、お土産を持って田舎にいる両親のところへ帰ろうとした。ところが、雨が降り始めてきたから、キャベツの下で雨宿りをするんだ。そこに、雄牛がやってきてキャベツと一緒にパトゥフェを食べてしまう。
パトゥフェが帰ってこないのを心配した両親は、「どこにいるんだ、パトゥフェ?」って呼びながら、外を探しまわる。その声を聞いたパトゥフェは「雨も雪も降らない雄牛の腹の中だよ」って答える。ここからアルバムタイトル「la panxa del bou(雄牛の腹)」が来ているんだ。
僕にとっては、このパトゥフェがヒーロー。王様とか軍隊だとか英雄には飽き飽きしてたんだ。とても小さいのにとても勇気があるんだから、彼こそが本物のヒーロだと思う。それに、おなかの中にいる胎児をメタファーにしたと美しい物語でもあるし。
  ※最新アルバムからカタルーニャ語、英語、スペイン語とごちゃまぜの歌詞の『Subway Walk』 。途中で「パティン、パタン、パトゥン」と言っているわかりますか?
-今回のアルバムは英語でも歌っていますが。
試してみたんだ。他の言語で歌うのも、カタルーニャ語で歌うのと同じように大事なことだからね。たくさん旅をしているけど、旅先ではいつも辞書を持って歩いてメモしたりして、その場所の言語を知るようにしている。英語がわかればどこにでも行けるけれど、やっぱり行ったら場所のものを体験したいから。日本でマクドナルドを食べることもできるけど、日本に行ったら日本の食べ物を食べたいし、日本の言葉もちょっと勉強したいなって思うよ。
アルバムには入らなかったけれどもフランス語で作ったフラメンコの曲もあるし、ちょっとだけチェコ語で作ったものもある。自分の言語がカタルーニャ語っていうマイノリティの言語だから、言語に対する繊細さがあるのかもしれないけど、使う言語によって見てる風景っていうのは変わってくるんだ。言葉っていうのはそれぞれがひとつの世界だからね。 (前編はこちら

dimarts, 10 de maig de 2011

ジョアン・ガリーガ・インタビュー前編

DusminguetsドゥスミンゲツからLa Troba Kung-Fúラ・トロバ・クンフーへとスタイルを変化させながらも、バルセロナの音楽シーンにおいて常に注目される存在であり続けるJoan Garrigaジョアン・ガリーガ。ツアー中ということで時間的に厳しいスケジュールの中、知る人ぞ知るバルセロナのバルEl Mariatchiエル・マリアッチの全面協力もあって、インタビューが実現しました!
©Shhhhh
-バルセロナはあなたにとってどういう場所ですか?
まず僕にとってバルセロナは人生で最初の大都市。そして、バルセロナは一つの大きな街っていうよりは、小さな地区の集まりみたいなもの。だから、僕も地区単位でバルセロナを考えている。地区ごとに異なった顔があるんだよ。
僕は様々な国にある小さな違いが好きなんだけど、バルセロナは観光寄りの政策に偏ったがために、現在は世界中のどこでも見られるようなフランチャイズの店ばっかりが増えてしまった。本当に残念なことだ。まあ、問題はあるけれども魅力的なことには変わりないよ。ふらふらと気ままに歩き回ることができるからね。ふらふらするのは旅することで、生きることでもある。
ツアーで様々な土地を回りながら、一つ一つは全く違うんだけどどれも甲乙付けがたいほど素敵な場所をたくさん見てきたよ。信じられないほど素晴らしい場所が、世界にはいっぱいあるんだ。多くの場合、その内部にいる人間は気がつかないんだけど。中にいると自分たちが何をもってるか、なかなかわからないものだからね。
かつてサン・ジョアンの祭り(カタルーニャ地方で夏至を祝うのお祭り)では町中で焚き火をして、いらなくなった家具とか古くなったものを通りで燃やしたんだ。でも数年前から焚き火で焼くのが禁止になってしまった。小さいときに見たサン・ジョアンの風景っていうのが、僕にとってはとって素晴らしいものだったから、残念で仕方がないよ。
※サン・ジョアンの祭りを歌った『Cumbia Infierno』
ここのところずっと政治的にも文化的にも間違った方向に進んできたんじゃないかと、僕は思っていた。だから、現在経済危機によって大変な思いはしてるけど、最終的にはいい方向に行くと思っているよ。
ここ数年スペインは大変な不動産ブームだったんだ。不動産バブルで簡単にお金が入ってくるから、建物をどんどん建てた。建物をどんどん建てるということは、田舎をどんどん消していくこと。農村をつぶして、畑をつぶして、国外から安く仕入れて入れる。バルセロナに住んでいようがカリフォルニアに住んでいようが、スーパーで買い物をすると全く違いがないようになってしまった。そういう状況が、経済危機のおかげで止まったからね。
こうしてバルセロナの話をしているけど、僕が住んでいるのはバルセロナではなくてもっと田舎の方。僕たちが演奏する音楽も田舎風の音楽だよ。
-もうちょっと田舎って?
僕が住んでいるのはガリーガていう町で、ガウディみたいなモデルニズモの建物がたくさんある。本当はそこでインタビューができれば良かったんだけど。ガウディの建物の中に住んでるようなものだから、そこの住人はみんなちょっと頭がおかしいんだ。まるでラテンアメリカ文学で言うマジックリアリズムの想像の世界に住んでるようなものなんだから。
パチャンガの『Sonajeros』のPVは、おそらくガリーガで撮影されたもの。
カタルーニャの外に行くとみんなにバルセロナの音楽のこと聞かれるんだけど、僕らの音楽はバルセロナの音楽の影響を受けているものの、それほど都会的なものではなんくて、もっと素朴なものなんだ。田舎の村祭りで演奏されるような音楽。バルセロナの音楽と違うものを自分たちはやっている。この違いを説明するのは僕たちの音楽にとって重要なことなんだ。だって、もし僕たちが田舎の出身じゃなければクンビアなんて始めなかったからね。
クンビアと言えばコロンビアの音楽ですが、南米の音楽というのは身近なものでした?
小さいときから身近にあったよ。村祭りでは踊るための音楽が演奏されるんだけど、ラテンアメリカの音楽がリバイバル音楽として演奏されてたいたからね。チャチャチャとかサルサ、パチャンガなど。パチャンガというのはいろんなダンスミュージックを混ぜ合わせたお祭りのための音楽なんだ。
ルンバ・カタラーナはあなたにとって重要なものですか。
もちろん。ルンバ・カタラーナがとって興味深いのは、常に伝統を作り変えてきた音楽だから。ルーツはとても大事なものなんだけど、ルーツはそこから新しいものを作り出すためのもの。常に再創造していかなければいけない。
ジプシーの音楽にはバリエーションがいっぱいあって、それぞれの土地でちょっとずつ違う音楽を弾く。けれどもでもそのルーツというか、それがジプシー音楽だという点が失われないのが面白いよね。(後編はこちら
ちょっと映像が悪いですが、ルンバのプロモーションで訪れたニューヨークでペレと共演するジョアン。

dimarts, 3 de maig de 2011

Sant GaudenciアドリアとShhhhhの音楽噺

ルンバ・フェスタの主催者Adriàアドリアは、ルンバ好きが集まったグループSant Gaudenciの一員としてDJからImpagaosのマネージメントまで、ルンバの世界で幅広く活動中。かたや、エココロの記事を執筆したShhhhhDJやCDの企画・ディストリビューションなどで、日本のワールド・ミュージックの現場ではその名を知られる人物。今回はそんな二人の立ち話をちょっとだけご紹介します。
アドリア撮影2ショット
Shhhhh(以下S):日本はここからすごく遠くにある国だけど、音楽一緒に楽しむ風景っていうのはここバルセロナと同じ。今日ルンバのフェスタを実際に目にしてみて、僕のめざしてる日常と変わらないと思ったし。これは、世界中どこでも変わらないね。 
Adrià(以下A):本当にそうだと思うよ。スペインにもロック・シーン、レゲエ・シーンなど、いろいろあるしね。中でも、ルンバ・カタラーナの世界はまだ小さいから、ちょっとでもその世界に足を突っ込むと、あっという間に全員知り合いになれる。同じ趣味の人と会うのも早くて簡単だから、余計に興味深いんだよね。 
S:ルンバ・カタラーナっていうのは、君たちのルーツミュージックのひとつと思っていいのかな?
A:全くその通り。地域にはそれぞれの民族音楽があって、カタルーニャにはサルダーナ(手をつないで輪になって踊るカタルーニャの民族舞踏)のほかにもルンバ・カタラーナがある。同じようなギターを使うフラメンコが南スペイン、アンダルシアにもあるけど、ルンバ・カタラーナはそれとは違うもの。フラメンコよりもルンバの方が優れているとかいう問題ではなくて、カタルーニャ独自の文化なんだ。 
S:日本だと日本のルーツ・ミュージックで、日常的でこうやって遊ぶことってまずないんだよね。だからルンバの状況がすごく新鮮に感じられる。週末みんなで集まってるところを実際に見れて本当に嬉しい。
A:とは言っても僕たちはまだ少数派。結局、大多数の人はアメリカとかイギリスとかで売れてる音楽を聞いているよ。  
S:ここに集まってるルンバで踊ってる君たちも、他のジャンルの音楽も聴いたりしているの? 
A:もちろんそれ以外の音楽も聞いてるよ。ルンバだけを聞いてるわけじゃなくて、なんでも聴くって。ポップにしてもルンバにしても、同じジャンルを何十時間も聞き続けたら飽きちゃうだろ? ルンバ・カタラーナのDJをやってると、ルンバばかりで飽きないのかって良く言われるんだけど、ルンバだけを聞いてるわけじゃない、他のも聞いてるから大丈夫って答えてる。レゲエとかスカとかも好きで、例えば東京スカ・パラダイス・オーケストラも好き。東京スカ・パラダイス・オーケストラは4年ぐらい前から、毎年のようにバルセロナに来てるけどいつも満員なんだ。
     
S:小さい頃からルンバ・カタラーナを知っていた? 

A小さい頃から知っていたよ。僕は82年生まれで92年のちょうど10歳のときに、バルセロナ・オリンピックがあったから、それでルンバを知ったんだ。長い間カタルーニャの伝統的な音楽といえば、サルダーナだったんだけど、サルダーナはあまりにも伝統的過ぎて、踊るための音楽って感じじゃないんだよね。それに比べてルンバ・カタラーナは圧倒的に踊れる音楽。また、伝統的なも のってちょっと保守的な感じがするけど、ルンバ・カタラーナは、もっと民衆寄りの感じしてすごく好きなんだ。 

でもその頃はそんなことに気がついてなかったから、 ルンバに本格的に興味を持ったのはちょうど3年前ぐらいかな。チャルリ・ブラウン(現在のルンバシーンの立役者ですが、実はスペインのスカ・シーンを創設した人物でもあります。彼についてはこちらも参照ください。)の「カタルーニャで生まれたバンドがスカのいいバンド、レゲエのいいバンド、ロックのいいバンドになって、世界に出て行くっていうのはいいことさ。だけれど、どうせだったらカタルーニャで生まれたものを外に出すほうが面白いじゃないか」って言葉がきっかけだった。  


バルカンの人たちは、俺達にはこんなものがあるんだぞってバルカン音楽を世界に示している。それと同じことを僕たちもカタルーニャの音楽でできるということが、僕にとってすごく新鮮だった。ここで生まれたルンバ・カタラーナがあるんだからね。ルンバ・カタラーナの面白いところは、尚且つ、カタルーニャの外からルンバ・カタラーナをやりに、ここに来る人もいるところだね 

S:僕がルンバ・カタラーナを知ったのも、同じように3年前ぐらいだったと思う。90年代だったらまた状況は違ってただろうね。

A:僕は82年生まれだから90年代まだ子供だった。 

S:僕もほぼ同世代なんだけど、ずっと英米の音楽を聞いて育ってきて。

A:何年生まれ?  

S78年。英米のロックとかパンクとかがすごく好きだったけど、なんか違うんじゃないかっていうか、それに飽きてきていたときに、ルンバ・カタラーナが入ってきた。マヌ・チャオがでかいと思うんだけど。こっちでも、みんな英米系に飽きたから逆にルーツに戻ったのかな?  

A:そういうわけでもなくて、バルセロナも他の地域と同じで、いろんな音楽がある。ルンバをやる人たちも他の音楽をきく必要があるしね。個人的にやっぱりルンバだけでは物足りないな。ルンバ・カタラーナていうのはたくさんある選択肢の中のひとつ。でも自分たちの音楽だと思えるから、僕にとっても特別なんだ!!
この日のルンバ・フェスタの様子はエココロのサイトで。

こちらがサン・ガウデンシが製作したビデオは、毎年12月に開催されるDiada de la rumbaルンバの日2010年の模様です  


リンクに張ったサン・ガウデンシのブログ記事の和訳はこちらを参照ください。

dimarts, 26 d’abril de 2011

ラモンのルンバ史講座-後編

©Kan Kanbayashi
-Los Manolosロス・マノロスについて少し話してもらえますか?

ロス・マノロスは、いくつかのロック・バンドが集まってできたものなんだ。みんな小さい頃からの幼なじみのグループだったからね。私たちの世代は、もちろんペレのことはみんな知っていたけど、ルンバなんて聞いてる人はほとんどいなかった。でも、仲間内にオスタフランっていうヒターノが多い地区出身の奴がいたからルンバも聞いたりしてて、ほんの冗談でルンバをやってみたのが始まりだった。

ルンバっていうのは、元々オリジナル曲を作るんじゃなくて、すでにある曲をルンバにアレンジするっていうものだ。自分たちはビートルズが大好きだったから、「ビートルズをルンバでカバーしたらどうかなるか」って思って作ったのが、All My Lovingオール・マイ・ラヴィングっていう一番最初の曲。衣装は70年代の大きな襟のスーツにベルボトム、サングラスともみあげ。時代遅れだっていうのがわかって、敢えてそうしたんだ。だって、本当に冗談だったんだからね。ところが、予想に反してすごく売れちゃったんだよ。


ちょうどロス・マノロスが売れた頃には、もうある程度スペインの民主化も落ち着いてきていた。だからこそ、カタルーニャ人たちが初めて「ルンバ・カタラーナを、自分たちの歴史の一部として見てもいいんじゃないか。」「ルンバ・カタラーナはカタルーニャの文化のひとつじゃないか」って考えるようになったんだ。それで市や州といった行政機関も、ルンバに興味を示し始める。 

フランコ政権がカタルーニャ文化を否定してきた反動から民主化が始まると、「カタルーニャはスペイン属してはいるけれど、固有の文化を持っている民族だ」というような主張がされるようになり、カタルーニャ性を再び回収するというか、再び自分たちのものにしていく作業が行われるようになっていたからね。 

また一方で、92年のバルセロナ・オリンピックは、カタルーニャの政治家にとって、スペインの中には固有の文化を有するカタルーニャというものが存在しているというのを、世界に向けてアピールする絶好のチャンスだった。


そういった状況の中で、ルンバ・カタラーナは、カタルーニャのものではあるけれども、歴史的にフラメンコの一部でもあるから、スペイン側からの反発をそれほ ど受けることなく、オリンピックと上手い具合に結びついた。なおかつフェスタ、いわゆるお祭り的な踊れる賑やかな音楽だったからね。こうして、オリンピックを契機にルンバが復活したんだ。

もう一つ、80年代末からの世界的なワールド・ミュージック・ブームが追い風になったという点もある。ルンバ・カタラーナも、ワールド・ミュージック、民族音楽なんじゃないかってことにみんな気がついたんだ。ブームの中でケルト音楽やアフリカ音楽に注目しているうちに、自分たちにも民族音楽があるっていうことを再発見をしたっていうわけさ。

オリンピックの後5年位の間ルンバは再び低迷期に入ったんだけど、下がり切って底を打った頃に、Ojos de Brujoになどメスティサヘの動きの中でルンバを評価する人たちが出て来た(メスティサへについてはこちらを参照ください)。

また、Manu Chaoマヌ・チャオが『La Rumba de Barcelonaラ・ルンバ・デ・バルセロナ』っていう曲を出したのもすごく大きいね。これでバルセロナにルンバがあることを知った人も多いからね。彼がバルセロナに引っ越してきたことで、ルンバがまたひとつ階段を上がったというか、新しいステージに入ったというところはある。


マヌ・チャオがやってるのは純粋な意味ではルンバではなくてフュージョン、いわゆるメスティサヘ。でも、メスティサヘだからこそ、若い人たちにとってはとっつきやすかった。また彼は、オーセンティックなルンバ・カタラーナとは別の形でルンバ・カタラーナができることを提示したとも言える。マヌ・チャオを介してルンバがメスティサヘと結びついたことで、裾野が広がったのは間違いないよ。

ガト・ペレスはシンガーソングライターとしては優秀な人だったけれど、商業的な面で成功するところまではいかなかった。一方で、マヌ・チャオは、すでに注目を浴びていたミュージシャンだったから、彼がルンバ・カタラーナを扱った影響力というのはすごく大きい。キューバ人じゃないけど、有名なライ・クーダがキューバのソンという音楽に興味を持って、Buena Vista Social Clubブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブを取り上げたら世界が注目したのと同じだね。 
(前編はこちら 

こちらがルンバ・カタラーナのブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブことPatriarcas de la Rumbaパトリアルカス・デ・ラ・ルンバ(こちらも参照ください)。

ラモンのルンバの歴史いかがでしたか? 私がルンバに音楽の一つのジャンルとして以上の思い入れを持つようになったのも、その歴史がルンバを生み出して育んできたカタルーニャの歴史と密接に関係していることを知ったのがきっかけでした。そもそも音楽も歴史もともに人間が作るものなので、その両者が歩みを共にするのは当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、ルンバの場合まだ歴史が浅いこともあって両者の関連がはっきりと目に見えるので、本当に興味深いです!! 現在のカタルーニャやバルセロナの在り方が、今後のルンバの発展に影響するかと思うと今からわくわくしてきます。