dimarts, 5 d’abril del 2011

Peretペレが語る音楽人生-前編

エルビス・プレスリーとペレス・プラドに憧れる若きペレが、最初のレコーディングをしたのは今から50年前のこと。ルンバの王様と呼ばれる彼の半世紀はそのままルンバ・カタラーナの歴史とも言えます。
エココロ取材班がバルセロナにやってきたのは、ちょうど彼がルンバ・ギター教室の主任講師を務めている期間にあたりました。このギター教室は、FORCATが次の世代にルンバを伝えていく目的で、リセウ音楽学校の協力の元10月に開講したもの。というわけで、FORCATの協力の元、このギター教室にお邪魔してペレに会ってきました。

©Kan Kanbayashi
-生まれはバルセロナですか? 

そう、バルセロナです。生まれたのはマタロ(バルセロナから30分くらいのところにある海沿いの町)だけども1ヶ月後にはバルセロナに来ました。母は15歳で私を生み、私も若いときに16歳の妻と結婚しました。ヒターノは結婚がとても早いんです。今でもヒターノは若くして結婚するんですが、勉強の機会を失ってしまうから、あまりいいことではないと私は思っています。

勉強というのはすごく大切で、必要なことだと思っているんです。学ぶためには、まず素晴らしい家族、そして学校がなければいけない。また、通りで学ぶこともあるでしょう。私は学校に行かれなかったので、通りの看板を見ながら読み書きを学んだんですよ。
幼少時代はラ・セラ通りの傍にあるサルバドール通りで過ごしました。私の両親は衣服の行商人でいつも旅をしていましたから、パルマ・デ・マヨルカ、イビサ、プチセルダ、ビックと転々としながら育ってきました。
-そうした環境の中に自然と音楽があったんでしょうか?
概して私たちヒターノは音楽と一緒に生まれるんです。どんな国、どんな場所にいてもそれは同じです。例えば。私の孫はお腹の中で音楽を聞いている。娘が妊娠していた91年頃、私はChipénチペンとRamunetラムネののアルバムのプロデュースを担当していて、そのレコーディングに娘もコーラスで参加していたんです。

私も幼いときからサルバドール通りで、子供たちのグループでギターを弾いていました。11歳からギターを弾き始めたのですが、それは誰から教わったわけでもなくて、自然に覚えました。ギターが弾けるようになって最初に弾いたのがフラメンコです。そのうちにフラメンコの踊り手たちが「ペレのギターで踊りたい」と言って来るようになりました。というのも私のギターは、ギターそのものの腕がどうこうというよりも、一緒に踊りたくなるようなギターなんだそうです。

私はいつも歌い手を見ていて「どうしたらこの人が上手く歌えるだろう?」って考えながら弾くから、歌い手もそれをわかってくれるんですね。素晴らしい腕の巨匠の人たち、私よりも演奏の上手い人はたくさんいる。でも、歌い手も踊り子もペレがいいと言ってくれたんですよ。だから、ミュージシャンにとっては、一緒に演奏する人たちをちゃんと見て、どうしたら彼らが気持ちよく歌えるかを考えることが大事だと思っています。

その当時、最も素晴らしいギター奏者がニノリ・カルドという人でした。1回演奏するのに、500ペセタ(現在の3ユーロ程度)私たちは150ペセタ(1ユーロ)。あるフラメンコダンサーが私のギターを気に入ってくれて、3000ペセタを払うから一緒にやってって言われました。彼女の夫は「なんでこいつに3000ペセタも払うんだ」って言ったんですけど、「私が彼とやりたいの」って。

観光客向けのタブラオでギターを弾いていたときのことで、「今年もっとお金が稼げないのなら、私はここを辞めます」と言ってギャラの値上げ交渉をしていたんです。オーナーはギャラを上げてくれたけど、十分な額ではなかった。それで、私に残って欲しいと歌い手たちが差額を払ってくれたんです。

私自身も現在、必要であればミュージシャンに幾らでも払います。一緒に演奏するミュージシャンが私をいい気持ちにさせてくれるなら、自分たちが一緒に演奏していて心地よいのなら、それに金額はつけられません。それは容易いことではないから。すばらしい音楽家はいくらでもいるけれど、相手を尊重していい部分を引き出し合える、相手と一緒に上手くやれる人っていうのは少ないから。
-音楽もコミュニケーションとういうことでしょうか?
そうです。コミュニケーション手段だから、上手い人もいれば下手な人もいる。歌い手と一緒にやっている時に歌い手をよく見る。自分が音出すのは歌い手を助けるためなんですから。これは個人的な音楽精神です。私はギターソロをがんがんやってっていうスタイルをやりたくない。そういうギタリストよりも、一緒にやって2人でひとつのものが作れるというほうがいい。

演奏する場所っていうのはいつも違っていて、音響がいい場所もあれば悪い場所もある、小さい場所もあれば、野外の時もある。だからステージ上で私の手が指揮者の役割をする。一緒にやってる人たちはその合図をわかっているんだ。

バンドは家族そのものです。家族じゃなきゃいけない。でなければ、なんの価値もないんです。お行儀よくやっていてもだめなんです。私たちの音楽は、みんながひとつにならなきゃいけない。全員でひとつのものをやらなきゃいけない。みんなが家族なんです。

ルンバカタラーナは、ステージがあってお客さんがいるというのではなくて、輪になってみんな一緒になってやるんです。それがすごく重要なんです。もしそうじゃないと上手く見渡せないし、コミュニケーションがうまく取れないから。

ミュージシャンは演奏している時に、譜面を見ていちゃいけない。私の足を見るんです。私の足ももうひとりの指揮者ですから。相手がどういう気持ちでいるのかをわからないといけない。元気があれば力強い音、疲れているならゆるい音にしたほうがいい。つねに相手を見るんです。私はもうおじいちゃんなので、みんな優しく扱わなきゃいけない(笑)。
後編に続く )



「先生、水で太るんです。嘘じゃありません。僕はなんにも食べてないんですから…」と言い訳ばかりの肥満患者が主人公のユーモアに溢れたルンバ・カタラーナらしい一曲です。2007年発売の『Que Lebante el Dedo』より。